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竹林記者の独りよがりの雑文です。泣き言、反省、得意げ、怒り・・。暇つぶしにも足りませんがよろしかったら・・。
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三番手の岡部だけを苛める?ための、もしくは岡部の「ヨコ」の脆さをさらけだすのが目的のような?決勝戦だった。

先行一車なのに番手勝負がない競輪を好くか好かないかは各自の自由である。どこで競りがあって、どこでは競りがないかを推理して車券を買うのが競輪なのだから。しかし、競輪ファン各自の求めるロマンは願望として各自にあり、その望んだロマンが実際の展開と一致したときの快感はえも言われぬものがある。逃げ一なら誰かは番手をやるというのが、ぼくの覚えた競輪ではあった。

スピードが合わなかった。番手で競っていたら優勝はない。理由はもっともで反論はない。反論はないのだが……。
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 その昔、電話投票もなく場外発売も限られ、テレビ中継なんかほとんどなしの時代、びわ湖で宮杯(現在の正式名称は高松宮記念杯)がやっていても東では堂々と? ひら競輪(いまのF2)が開催されていた。

宮杯のメンバーはスポーツ新聞の片隅にちょこっと、申し訳程度に掲載されていただけで、その車番と選手名だけの「出走表」で彼の地の特別競輪に想いを馳せた経験のあるファンも多いことだろう。

現在ではいつでもどこでも買えて観られる宮杯が明後日からはじまる。

明日の今頃はびわ湖の記者席だ。

宇都宮記念3日目の最終レースは平原が粘るか神山が差すか、という車券が売れていた。

初日の特選でも2人は一緒で、そのレースは中団をドカして平原のまくり圧勝、強い雨も災いしたか神山は離れてしまっている。

ぼくはラピスタ新橋の早朝予想会で、「もう一度平原はまくりと買う人は新人類傾向のファン。宇都宮は神山の庭だ。その宇都宮記念の準決なんだから平原は神山を気づかって先行する。昔気質の競輪ファンはそう考える、というかそう願うのでは」と少し極端な表現で一席? ぶった。そして自分は後者であると締めた。

粘れず4着の平原は悔しかろうが、ぼくが覚えて好いた「競輪」は確かにそこに在った。

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