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竹林記者の独りよがりの雑文です。泣き言、反省、得意げ、怒り・・。暇つぶしにも足りませんがよろしかったら・・。
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もう想い起こすのもむずかしくなったが昔のダービーは違ってた。それが敗者戦であろうとどんなレースでも、「ダービーの一着」に選手は躍起になった。
ハコ無風の某は直線に向いても後ろを気にする。33だよ、ここは! 思いっきり踏んでも君じゃハチイチ(八分の一輪)差せるかどうかだろうよ。あなたに井上茂徳の脚と技術はないんだから、まずは抜きに行って下さいな。
一着が欲しくないと書けば反論異論もあろうが、少なくとも勝負に対する執念を感じない選手がG1中のG1、競輪ダービーに乗っている。
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幾度も書いているがダービーで僕の記憶に濃い一番は清嶋が優勝した立川開催だ。清嶋の逃げ切りで三番手の尾崎が山健を一車食って二着、誘導員は古林だった。早朝から並んで特観席に座ったのが午前七時か八時。第一レースまでの長かったこと。室内に一個か二個の公衆電話に列が出来て、会話の大半が仕事場に休みを乞う内容だったように記憶しているが、これは僕の古い脳内記憶室がいささか誇張してしまっているようだ。
滝沢が初めて特別を優勝した千葉のダービーはバンクの内側に雪が残っていた。ただあの雪が準決勝だったのか決勝だったのかの記憶が怪しい。
松戸ダービーの開催中、記者席のテレビが地下鉄サリン事件を報じたのも忘れられない。資料に事件は1995年三月二十日とある。そうダービーと言えば三月後半だったんだ。その年の優勝は小橋正。前で走った三宅伸の残りを買ってた、確か。だけど小橋が一気に踏んで児玉広とのズブズブだった。
明日から雛祭り前のダービーが開催する。
加藤慎は常々言っている。村上義を認めていると。その番手を主張しない加藤は何をやるのだろうと思って見ていたら「先行」だった。
村上マークを主張したのは地元、中部は4人で「それ」もありなのだろうけど、個人的な感想を言わせてもらえばこんな感じだ。
けっこう期待して楽しみにしていた新作映画を封切館(こんな呼称はもう死語か)で観たら駄作でがっかり。
あくまで「個人」発です。
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