竹林記者の独りよがりの雑文です。泣き言、反省、得意げ、怒り・・。暇つぶしにも足りませんがよろしかったら・・。
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正午から午後一時くらいの間だった。競輪場の門の前の雰囲気がいつもとは違っていた。中に入ろうとする人と出て来る人が窮屈そうに行き来していた。
ぼくも入った。
場内は騒然としていた。あのころはすべての窓口で前売りが買えたわけではなかった。正門からすぐの場所に前売りの売り場があったのだと思う。ともかく人ひと人だった。
第一回KEIRINグランプリをぼくはテレビで観ている。とても本番までは居られないと当時の(本場まで出向いたのに眼の前の大レース観戦を簡単にあきらめるほどヤワではなかった)ぼくがバックを踏んだのだから、それはすごい混雑だった。
①⑤の枠番式車券は1700円。中野浩一、井上茂徳、佐々木昭彦と九州ワンツースリーだった。3連単で売ってもらいたいくらいだよな、などという軽口が飛び交うことはなかった。車番式の車券すら想像できぬ時代だった。
二十一年前のその日、車だったか電車だったかも覚えていないし、誰の車券を買ったかも覚えていないけれど、たしかにぼくは「そこ」に行ったのだ。
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