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競輪はギャンブルだから的中すればうれしいし、はずれれば悲しい。
たとえそれが無気力レースであっても、コメントと本番が違うと怒ってる人が傍にいたとしても、その人には悪いがやっぱり当たれば喜んでしまう。
問題ははずれたレースだ。
同じはずれははずれでも、なかなかいいレースだったなという納得の負けと、なんじゃ、このレースは! 不快な負けでは雲泥の差なのだ。
そしてこの積み重ねが、ファンそれぞれによる信頼できぬ選手の増殖となる(もちろん個々人の解釈、感性による)。
二三年前、ぼくの友人が新聞を見て「このレース、おれ6人も認めない選手がいる。だから残り3人のボックス」と買ったら、けっこうな払い戻しを受けた。「簡単なもんだ」とうそぶいた友人はなんとも言えない複雑な表情をしていた。
他人にだけ厳しいぼくなどは、ほうっとおくと信用できぬ選手だらけになってしまう。そうなるとかなり厄介で、じゃぁ信用できぬ先行型のうしろも消すのかとか推理に足かせがはめられ、競輪をつまらなくしてしまうことにもなる。だから「がっかりされられた」選手が、ちょっとでも「いいドラマ」を演じてくれたら許すことにしている。好きになったり嫌いになったり。もちろん「名誉回復」不可能な許されざる選手も幾人かいるのだが。
なんだか妙な愚痴となった。許されたし。
昔、検車場のなかの新人選手はすぐに判別できた。
判別の術は坊主頭の風采からだけではなく、その新人が発する初々しさの空気みたいなものが大きかった。
でもいまは少し違う。
あそこでレーサー組み立てているの90期? という場面がよくある。新人らしくない新人と記せば語弊があるが、すでにそこに溶けこんでいるような「擦れた」新人を発見してしまうことが時々ある。もちろんそれはそれでかまわない。プロ野球の新人選手にも同じ感想を持つし、他の種目、サラリーマンの世界だって同様のような気もするから。 眉毛をきれいに整えた新人選手、次は91期かぁ。何年後かの100期生はいったいどんな顔をしているのだろう?
伊東の東王座戦では明暗を分けた佐藤と山崎の兄弟弟子コンビ。 佐藤は準決勝で渡辺一成の番手で「仕事」し過ぎて?失格。 佐藤が帰郷した翌日の決勝戦で山崎はその渡辺の番手から優勝を飾っている。
だから。
その二人が決勝で一緒になったなら、山崎が思いっきりいっちゃって佐藤の優勝!早々とそんな「絵図」を浮かべている妄想記者、ここにあり