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竹林記者の独りよがりの雑文です。泣き言、反省、得意げ、怒り・・。暇つぶしにも足りませんがよろしかったら・・。
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台風一過、抜けるような青空がきれいだ。きのうは強風に止められてしまった観覧車も機嫌を直し、秋の青に溶け合っている。その青は山の稜線や海原へと誘うのだが、無粋な俺は千葉記念の青、四番車が気になってしかたない。
昔、ガキの頃、台風一過は台風一家だとずっと思ってた。
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西武園のS級シリーズは平原康の欠場で飛車格落ち、否、王様抜き(そんな将棋はありゃせぬが)の三日間になってしまった。オールスターから間がない開催だ。あの五日間の激闘はどうしたって体躯に堪えよう。
そのオールスターの関東3人の走りについて色んな意見を耳にする。先の寬仁親王牌の決勝に関しても同じ論調だったと思う。
平原-武田-神山とタイトル・ホルダーが並んでブン回すのは如何なものか? 行くだけ行ってあとは番手捲り、あれじゃ平原に勝つ目はない。
ごもっとも。否定はしない。ファンは皆自分が思い描く「競輪のロマン」を各自の胸に内包しているのだから。
ただあの「関東作戦」の否定派は親王牌、オールスターの「車券の人気」に対してどう解釈するのだろう。親王牌は神山-武田が一番人気、オールスターは武田-神山で、三番手の神山が差す方が次位だった。言い換えればどっちも、平原が飛び出して武田-神山で番手スパードする車券を支持するファンが大勢だった。より正確を期すなら、「その展開」に最も多くの金が投じられたのだ。
一番人気が正義だなどと叫ぶつもりは毛頭ないが、番手捲りだと思い描きそのとおりにレースが進んだときの、競輪ファンしか味わえぬ一種独特の「快感」は尊重されねばならない。
誰も来てないのに番手捲りは……と言うのも分からない。そりゃ番手がマーク型なら直線まで待つしかない。踏む距離が限られているのだから。だけと番手は先行型の武田なのだ。ここから踏めば1着と思えば後ろを見ずともスパードするでしょう。番手を回るなら追込み型になるべきだという意見もあろうが、ファンは平原-武田-神山を先行ー先行ー追込みの並びと認識して車券を買っているのだ。
犠牲的な走りを諫める記事にも屈せず、神山、武田を慮る逃げを敢行した義侠固い平原を、男だなあと俺は思う。

昔、昔の話ではなくつい最近、正確には先月、八月二十六日の出来事です。
その日、キャリー・オーバーを繰り返した小倉競輪のチャリロトは払い戻し総額が六千万を越えていて、全国のチャリロト愛好家達の目はぎらついていた。各地で六千万を取りに行くべく「乗り」のグループが結成されたことだろう。その内の一つの「組」の顛末を記したい。
給料取りとすれば「身にこたえる」金額を拠出し合い綿密な検討がなされた。皆競輪には一家言ある人間の集まりだ、某選手の取捨は? 某は何故ギヤを変えたのだろう…、某は中二日だ。小倉との相性はどうなんだ。該当レースを囲碁将棋の棋士の如く? 推理してゆく。その光景は映画のオーシャンズ何とかをも想起させ……そこまで格好良くないか。
そして、采は投げられた。
喝采、冷や汗、「よし」と頷き小さなガッツポーズ。ともかく最終十二レースまで来た、残ったのだ。
某か某の頭なら二口だから三千万、某は三口で二千万かあ……、闘士達は高鳴る胸を抑えてそれぞれの場所で決戦の時を迎えることになる。都内のスポーツ・バーで小倉競輪を中継してくれるはずもなく(競輪ファンが応援する車番のユニフォームを着て一喜一憂する、まるでサッカー日本代表のワールドカップ予選の様に……そんな日は来ないだろうな)、ある者はマンガ喫茶のパソコンを開き、ある者は人気を避けた場所を確保し携帯電話で十二レース、スタートの号砲を聞いた。

見切った、買ってない稲垣が先頭でゴールした瞬間、マンガ喫茶の男は後ろに飛び上がり囲いに頭をぶつけた。いきなりの物音に周りの客は訝しがったことだろう。携帯の男はその場で嘔吐したらしい。自宅の風呂で心頭滅却してから臨んだ男は以後三日間、頭痛が止まず不眠に悩まされた。

ギャンブルはかくも残酷であるが、その極みを味わうのが真のギャンブルなのかもしれない。しかし彼らは素晴らしい。愛しいギャンブラー達だ。彼らの「天国と地獄」に加担していない自分が少し寂しい。
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