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ラピスタ新橋で立川記念の決勝を予想した。逃げるのは五十嵐、だけど武田、荒井、佐々木がつくりだすスピードは格上なのだから、どこかのラインのひとまくりで渡辺がスイッチして3着、そうなれば渡辺は3着3着3着3着で上がることになる、「確変」だと無駄口をたたいた。どのラインのひとまくりなのか? やっぱり昨日の荒井を見てしまえば、絞るならそのラインだと説明した。バンクレコード10秒9の記録保持者は遠沢健二だ。遠沢は海田和裕が優勝した立川ダービーの準決勝でそのタイムを出した。そして次の日の決勝は2着、しかも失格繰り上がりの2着だった。立川の準決勝でバンクレコードの翌日は2着、荒井も同様なのでは。山口が冬場はいつも成績がいいと昨日から言っていた。山口は去年大宮記念を優勝している。大宮は昨年最初のG3だった。今年の一番めは立川記念だ。二年続けて年初の記念は山口が持っていくと考えれば、山口-荒井-渡辺の三連単で辻褄が合うと言い切った。なにが辻褄だと会場の何十人が心の中で舌打ちしたことだろう。
でも渡辺選手は最近ずっと準優勝ばかりなんですよねえ?
司会の女性がそう言った。
知っていた、渡辺がずっと最終日に2着が続いていることは。
うん、その発想もいい、やっぱり渡辺を2着に買おうか。そんなやさしい応答は当然せず、それは君が買えばいい。感じの悪い声音で突っ放した。
結果は荒井、渡辺、山口のゴール順だった。
教訓。ひとに優しく、そして素直に。
休憩室で初老の男が出走表を見ていた。この岩崎ってのは強かったんだぞ、とぼくに言った。岩崎誠一のことだった。記念競輪の表彰式の警備でバンクのなかに立ったこともある。尾崎将彦が三連勝(当時の記念は三日制)の完全優勝で観客の声援に応えていた。バイト先の警備会社のサホダ隊長が尾崎に「おめでとうございます」と言ったのを憶えている。
あれから三十年弱が経った。
初老の男は生きていればゆうに八十を越えていることだろう。尾崎は数年前に引退した。サホダ隊長の消息はわからない。
なんの因果か、ぼくだけは立川競輪場に戻った。
そして雨の記念レースを見ている。
立川競輪場はJR立川駅から徒歩15分くらいのところにある。バスを使わずタクシーにも乗らないで行くにはシネマ通りと称された商店街を歩くことになる。その名のとおりかつて映画館があったシネマ通りはその昔、繁華街だった。飲み屋がひしめき合い、ストリップ小屋もトルコ風呂(現在のソープランド)もあった。近くの米軍基地から繰り出した米兵が当時のドルの力にもの言わせて遊びまくっていた。シネマ通りに隣接して在った某ホテルは米兵御用達だった。そこで「休憩」したという先輩は、ベッドの大きさが半端じゃないと得意げだった。そういえばそのホテルの位置に現在は「ネムール・イン」なるホテルが建っている。ネムールは「眠る」のことだろう。そして「イン」と英語を続ける。奇妙だけど絶妙な? ネーミングに笑ってしまうのはぼくだけじゃないだろう。
ストリップ小屋はとうの昔に大衆演劇場となり、路地裏に出没していた街娼もとっくの昔にシネマ通りを見限った。
今日から立川では記念競輪、たまにはシネマ通りを歩いて競輪場へ行こうか。