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ダイジェストで松戸の2日目を見た。
9レースは人気の一角である関東の某がただただインを使うだけ。中団を取るのも内、直線も内。なんだか嫌なものが胸に湧いた。
10レースは残れるわけない先行を残そうとした地元の某がハコ絶好なのに勝てず。某のアタマで買ってたファンは怒ることでしょう。怒りでとまってくれればいいが、がっかりし、幻滅までいけば、競輪という種目を去る可能性だってある。
11レースも自在型の某が中途半端に内を使って、なんだか道中ぐにゃぐにゃした?レース。10も11も、こりゃ買えないでしょうという10万円車券だった。
競輪は単純な速度競走ではないし、駆け引きや作戦が大事なのは承知している。しかしその駆け引きや作戦にも「良識」が存在せねばならぬはずだ。あまりに姑息であまりにも見苦しい走りはスポーツに在らず。競輪をおとしめることになる。
今日の西武園(2日目)、ジカ付け番手で競り勝ち更にそこから番手捲りを放った三ツ井も、内外怖がらずに踏んできた柳原も、初日にいい競りを見せている。やっぱり競輪は気合いだなとつくづく思う。とくにA級の前半レースなどにはそれが顕著で、たいして違わぬ「脚力」なら「気持ち」の方が大きいと感じることは間々在る。
予選で守るべき位置をほぼ無抵抗で明け渡した某が日付が変わっただけで恵まれるなどということは、競輪の神様が許さないのだ。
負けて悔いて、勝って悔いる。
ぼくにこんな素敵な表現力はなかろうから、おそらく誰かの受け売り、借り物の言葉であろう。
負けて――1着3着、ボックスにしていれば、なんで一点見切りが来るの! などと悔いる。
勝って――読み切ってるんだからもっとたくさん勝ってれば、押さえなんかいらないじゃない、これ一点にまとめなきゃなどと、まったく久々の的中であることも忘れて、悔いる。
なんとも愚かなギャンブラー人生をいったい何十年続ければいいのだろうとめげたりもするのだが、「ま、いいじゃないか」、満更でもない内なる声がすっと撫でてくれたりもするのだ。